なまけもののつぶやき

日々のあれやこれやをのんびり書いていきます

近況報告

こんにちは。

 

前回の更新から8ヶ月くらい経ってるのですが、その間に色んなことがありました。

 

その中の一つで大きな転機となったのが「転職」

 

2月に転職をしました。

でも2週間ほどで行けなくなりました。

結果、入社から2ヶ月経たずして退職。

 

精神科を受診し、適応障害と診断されました。

 

今回はこのことについて書いていこうと思います。

何故、今更こんなことを書こうと思ったかというと、「そろそろ働いてもいいかな」という気持ちなってきており、その一歩を踏み出すためには当時の自分と向き合う必要があると思ったからです。

 

では、レッツゴー

 

 

まず、入社をしたのは同業他社。

業界でも5本の指に入る大企業。

1社目の会社より規模が大きかったので、どんな風に社内の意思決定がされて、店舗として運営されるんだろう?とワクワクしてた。

いずれは1社目の会社に復職することも考えていたので、他社の空気感や仕組みを知ることはプラスになると考えてた。

 

ところが、入社前から早速そんな気持ちに影が落ちる。

入社前研修を1泊2日で本社で実施すると連絡が来た。

本社は新幹線で行かなければならない。

当時、緊急事態宣言が出ていた。

ここ一年弱、都内にも出てないのに、ましてや新幹線で軽々越境とは、かなりの抵抗があった。

同時に、各地から内定者を集結させて感染したらどうするんだという不安も襲った。

渋々、研修には参加したが、これ、オンラインでもできたよね?という内容で特に身に沁みる事はなかった。

 

そんな感じで出鼻をくじかれ、出社初日。

 

 

店 長 が 苦 手 か も

 

一日接していく中で、要所要所で「ん?」と思うところがあって、「ああ、この人合わないわ」と脳が判断。

言い方や態度が威圧的というか、雑というか、ぶっきらぼうというか。

あと目つきが無理だった。

今思い出しても、ちょっと不快。

 

作業を教えてくれるんだけど、ペースが早く、メモを取るのに必死。

理解しきれないまま、放り出され、問題にぶち当たったらその場で対応していく。

OJTなんだから当たり前といえば当たり前なんだけど。

家に帰って、ぐちゃぐちゃの殴り書きメモを清書する日々。

明日は出来るようにしなきゃ、という自分への勝手なプレッシャーをかけ、だんだんと出勤が嫌になっていった。

 

ある日の3連勤最終日。

自分の中で、不安や焦りが大きくなり、店長への嫌悪感も増していた頃、休憩の際に事務所に戻った時に、ダムが決壊したかのように店長の前で号泣。

 

店長は呆れたように子供をあやすみたいに、「入社して間もないんだから、出来ると思ってないし、出来なくて当たり前なんだから、もっと力を抜いてやればいい」

と言ってくれたんだけど、もはや何も響かなかった。とにかく逃げたいと思った。

結局この日は何とかやり過ごすも、気を抜くと涙が溢れてくるという始末で、全然仕事にならず。

帰り道に母に連絡したらちょうど仕事から帰ってると言われたので、駅で落ち合って少し話すも、泣いてばっかりで話にならず。

1時間くらい立ち話して、次の日休みだからと言って家に来てくれることになった。

 

次の日、昼くらいに母を迎えて、暫くは引越ししたての部屋をルームツアー的な感じでウロウロして回ってたんだけど、だんだんと仕事の話になり、またボロボロ泣く始末。

赤ちゃんかな?ってくらいワンワン泣いてるから、流石の母も心配したらしい。

 

後に、「あのまま死んじゃうかと思った」って言われて、そこまでは考えてなかったけど、あんな状態は明らかにおかしかったよなって、今になって思う。

 

母に話して、少し落ち着きを取り戻して、翌日からまた仕事に行った。

教わったことを忘れたり、やり方を間違えたりして、自分の出来なさっぷりに凹みつつ、何とか1週間やり過ごすも、そのうち身体に異変が起き始めた。

家に帰ったら何もせず寝てしまったり、ご飯を食べるのが億劫になってきた。

その後、仕事のことを考えると動悸がしたり、仕事中も手が震えるようになった。

寝てる時も寝汗がすごく、仕事の夢ばかり見るようになり、休みの日も何もする気が起きず、一日中寝てる日も増えてきた。

 

これは明らかにおかしいと感じ、店長と話すのも嫌だったけど、意を決して店に電話。

病院に行きたいから明日の出勤を午後からにして欲しいと頼み、かかりつけの内科へ。

ところが予約が多く、2時過ぎくらいの診察になると言われ、それなら休みにして貰えないかなと思い、店に電話をしたら「今日からすごい忙しくなるから病院終わったら何時からでもいいから来い」と言われて絶望。

この状況で働けというのか。

 

先生に状況を話している時も、ボロボロ泣いて、

「精神科じゃないから断言は出来ないけど、適応障害とそれに伴う抑うつ状態だと思う。診断書書くから仕事は休め。あと精神科の紹介状出すから行ってこい。」

とお墨付きを貰い、これでやっと仕事行かなくて済むんだ!と思った。

でも、それを伝えるために電話をしないとならない。

しんどかったけど、再び店に電話をし、病状を説明。

休職したいという主旨の話をしたんだと思う。辞めたいって言ったんだっけ?記憶が曖昧。

その後、地域を管轄しているマネージャーから電話があり、正式にしばらく休むことになった。

 

仕事に行かなくてよくなると、症状はだんだん落ち着いてきた。

精神科に電話をするも、2週間以上先の予約しか取れず、その間に退職の手続きを取った。

職場に行くのは辛いだろうからと、マネージャーが近くの別の店舗での手続きを取ってくれた。

いずれは店にも挨拶に行きますと伝え、あっさりと退職手続きは終わった。

電話ができる状況ではなかったので、LINEで店長に退職の旨、連絡をするも既読スルーされ、またそこで色んなことを気にし出す。

「怒ってるのかな?LINEで連絡したのがまずかったかな、改めて挨拶に行くって書いたし、いっか」とか色々悶々とするも、まぁ、こんな短期間で辞められて会社としても迷惑だろうし、そんな奴のために時間なんか使ってらんないよな、と思い直し、あまり会社や店長のことは考えないようにした。

 

やっと精神科の受診日が来て、正式に適応障害と診断された。

安定剤と自律神経を整える薬を貰った。

その足で、職場に挨拶に向かった。

今日で区切りが着くと思ったら気持ちが明るくなったけど、店長に会わなきゃいけないのがしんどかった。

色々と話すことを考えて行ったのに、いざ顔を合わせると、脳内の文章は全て消え去り、ただ謝ることしか出来なかった。

多分30秒くらいで終わったと思う。

言いたい事の10分の1も言えなかった。

 

それからというもの、退職日はまだ先だったので、ひたすら心と身体の回復に務めた。

急に思い立って部屋の模様替えをしてみたり、サブスクで映画を観たり、近所を散歩したり。

母に、図書館に行ってみたら?と言われたので少しずつ本を読んだりもした。

おすすめの本を紹介してもらって読んだり。

活字を読むことを久しくしてなかったので、著しく読むのが遅いけど。

というより、本を開くまでに時間がかかる。

読まずに返却日が来ることもしばしば。

 

そうこうしているうちに、退職日が来た。

やっとあの会社から解放された。

そのうち、人事部からなんの気持ちもこもってない添え状と共に、離職票源泉徴収票が送られてきた。

ハロワに行って、再びの失業認定を受けた。

コロナの関係で給付期間が60日延長になってたらしく、6月まで失業手当を貰うことが出来た。

感謝。

 

退職から4ヶ月経って思うことは、前職も同じ業界だったし、10年近く働いていたので、新しい会社でもすぐに馴染めると思ってたけど、自分を過信しすぎて、また、相手にも期待しすぎて、結果自爆したんだなと。

辞めた当初は「店長が無理!合わない!」って思っていたけど、多分悪い人ではなかったと思う。

 

仕事面では、同じ作業でもやり方が全然違うし、なんならすごく効率が悪くて、前の会社の優れた面を再認識したし、「なんでこんな仕組みなの?よくこれで誰も文句言わないな」って思ったりするくらいアナログで、入社数日にして、会社に対して拒否反応が出てしまってたように思う。

 

その他にも、シフトが変則労働だったので、8時間の日もあれば、午前中だけ、夕方だけ、通し勤務など固定じゃないのもダメだった。

あと、圧倒的な人員不足。これはかなりのストレスになった。

 

つまり、人間関係、労働環境共に、当時の私には合わない環境で、かつ、自分を勝手に追い込み、「出来ない奴認定」を自分でして、それに凹み、「こんなはずじゃなかった」という期待と現実の落差に勝手に苦しんでたんだろうなーって思う。

 

選ぶ相手を間違えたと思って、早めに見切りをつけられて良かったと思うことにした。

その数ヶ月後、会社がとあることで世間をにぎわすことになり、辞めてよかったわと改めて痛感した。

 

さて、これからどうしようかという話だけど。

体調面で色々と懸念事項があり、再就職への踏ん切りがつかなかったんだけど、ようやく目処がたったというか、悩んでても仕方ないというか、とりあえず普通に生活は出来てるし、軽く働くか、みたいな気持ちになってるので、ボチボチ仕事を探していこうかなという感じ。

 

次の投稿で、どんな働き方にするか書く予定。

 

最初は「です、ます調」で書いてたのに気づいたら変わってた。

文章書くの難しいなー

 

では、また。